初期のピーチ
(すらっとしてましたね…)

準備段階 「それは突然降ってきた」

事の始まりは唐突で、ある日「ちゃお」編集部から電話が来て、「○日○時にこい」と。

当時連載もしてなかったから打ち切りの話のわけもなく、何か付録の仕事でもくれるんかいな(あるいは気が付かないで、どえらい失敗でもやらかしたのか?)と思って行ったら、個室に通されて、編集長が数人の編集者を引き連れ入ってきて(「ぴょんぴょん」廃刊の告知をされたのと同じ部屋だった気がする)「この企画やってくれる?」といって初期設定とデザイン画を渡されたのだった。


当時私の担当記者は新人さんだったのだけど、当然これはアニメありきの企画なので新人には任せられない(いろんな方面との交渉もあるからね)、ということで新担当のMを紹介された。

(後で分かったことだが、この人私が子どもの頃住んでた町、東京は蒲田の本屋の息子で私もちょくちょく買ってたのだ。顔くらい見ていたかも知らん。なんと狭い世の中でしょう) その彼いわく「何の用だと思った?」 電話で言わないんだもん、知らねーよ、面白がってたんだな、こいつら() 


一番縮んでいたころ?それとも学年誌のカット…?とにかく別人(笑) これじゃぴょんぴょんだ

何で谷沢?

そのときの私の「ちゃお」でのポジションってのは、「ぴょんぴょん」合併時の移籍組み、ほぼ来たばかり、ちゃおでは別冊で読みきり一本と、ショート3本の本誌連載・別冊読みきり11P(共に穴埋めだ)を描いただけというド新人。

「ぴょんぴょん」でやってたことは少女漫画だか何だか分からんようなマンガ(学年誌のノリだもん)、その上さらに元々はコロコロデビューだし、少女漫画なんて特別人気のあったもの以外は殆ど読んだこともないヤツ(ベルバラとかキャンディキャンディとかは読んだよ)。

しかもアノ絵柄で(コミックス持ってる人は分かるだろーが…特に
1巻は悲惨)、花を描くのが大の苦手。というか絶対どうしても必要にならない限り苦手だから極力避け続けてきた人間。

アシスタント時代もテリベタ・花・ムードバックは出来るだけ逃げてたって奴だったのだ(少女誌はなかったけど、女性誌のアシの経験はあったのだよ。学年誌や少年誌は当然ありました)


後で聞いた話だが「谷沢はアクションが描けるから」ということで決まったらしい。まあ、当時「ちゃお」で柱の連載を張っていた人にはとうてい頼めないし、で、それ以外の中でアクションを描かせりゃ、そりゃ少年誌(ってーか児童誌だが)出身の私はアクション上手いよ、上手かったよ、「その中」では。でもねえ…

企画書。「花とフリルと結婚
(ドレス)」。ちょっとまて。なんで?…とはいえ向こうが仕事くれるって言うんだからこちらからはべつに「私でいいんですか?」という筋合いはない。昨日今日知り合った仲じゃないんだ。

編集部には「ぴょんぴょん」時代からの担当者だって入ってるんだ。分かってて指名してんだろうから構うもんか、だ。ここんとこはずっとずっと後年、ドイツからメールで「イベントに招待したら来る?」といわれて「英語喋れないけどいいんですか?」と聞かなかったのと同じ。

向こうからいって来たんだから、ズタボロになったって知ったことか、だ(英語はその後半年ぐらいマジでやったけどね(笑)。ピーチだって頑張って花とフリルに挑戦したし。結果はともかく)


美形が描けないころ(今でも断じて得意じゃないが)の悲惨なカット。読者ページのキャラ紹介用だったらしい。

振り返って考えてみると、企画モノ、メディアミックスモノ、富田祐弘って大物が関わっているモノ…にしては編集サイドの期待度ってそんなに高くなかったのではないかと。だから谷沢でいーじゃん、みたいな。(富田祐弘には災難だが、私のせいじゃない())

「瓢箪からコマ出りゃみっけもんじゃないー?」みたいな。花とフリルが描けないやつ(ついでに言うと美少年もダメだ)に花とフリルのマンガ描かせるんだからさ。大体、この手のマンガでアクションシーンなんてのは「つけたし」でしょ、少年漫画じゃないんだから。そっちがメインになっちゃダメじゃん?

これも後で知ったことだが、デビュー直前だか直後だかくらいの作家さんも候補の一人に上がっていたらしい。それとも企画モノの漫画家なんてそういうものなのかなー?


…続きます。