新生伝説・モーニングナイト
By Syuuhei Kiyama :


<第一話 冥界と現世〜少年天使の新生:Part1>

 ピポ。パソコンの電子音が響く。
 メーラーの受信欄。新着メールが届いている事を告げるマーク表示。
 多少手狭な、一人暮らし用の1ルームアパート。風呂場からザーとシャワーの音が聞こえてくる。
 やがて風呂場から出て来たのは、多少幼めの面影を残した優しい印象を持つ青年。
 彼はタオルで濡れた体を拭きながら、向かいのキッチン台にあるメガネをその手に取る。
「ふぅ……やっと人心地ついたよ」
 そう言いながらメガネをかけて、タオルを腰に巻き、スペース有功活用の目的で買った高ベッドの下にある整理ボックスから下着とパジャマを引っ張り出す。
「やれやれ、だね」
 パジャマを着る。そして、パソコンの置いてあるデスクに向かう。
 椅子に座り、画面を見る。パソコンに表示されているメーラーの新着メール表示を認めると、彼はマウスを動かしてメーラーにメールを表示するように指示を出す。と、言っても。目的のメールをクリックするだけなのだが。
 表示されるメール。

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Received: from smtp.st.orpheus-univ.ac.jp (mail.st.orpheus-univ.ac.jp [XXX.XXX.XXX.XXX])
by pop5.st.orpheus-univ.ac.jp (1.8.2/2.3W32529847) with ESMTP id 99982638
for <amano-t@st.orpheus-univ.ac.jp>; Mon, 10 Oct 2000 20:30:02 +0900 (JST)
From: daisy@frower-tamano.com
Received: from daisy (daisy 8-9-303.frower-tamano.com [XXX.XXX.XXX.XXX])
by smtp.frower-tamano.com (8.8.7/3.1A234902) with SMTP id 02837283
for <amano-t@st.orpheus-univ.ac.jp>; Mon, 10 Oct 2000 19:52:43 +0900 (JST)
Date: Mon, 10 Oct 2000 19:50:40 +0900 (JST)
Message-Id: <354829837.BBB28765@smtp.frower-tamano.com>
To: amano-t@st.orpheus-univ.ac.jp
Subject: =元気でやってるか?
Mime-Version: 1.0
X-Mailer: Nicro Softwere Network Express
Content-Type: Text/Plain; charset=iso-2022-jp

たくろう、元気か?
こっちは相変わらずだぜ。
この間ウチに入れたネットショップな。
まだ勝手がわかんなくって、わたわたしてる。
夏休みに、お前が助けてくんなかったら、どうなってた事か……(^_^;;;
あんがとな。(^///^

でも、おれもオヤジもかなり慣れて来たんだぜ?
すげぇだろ。
今度会う時はもっと上達してビックリさせてやるからな。(^^

そういえば、ホント、あの時はびびったぜ。
お前いきなり『地方の大学に行く』だもんな。
てっきりオレ、お前は東大とかそういったトコに行くって思ってたから。
あの時、やりたい事があるって言ってたもんな。
その学科はその大学にしか無いからって。
頑張れよ。

                  ひなぎく

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 メールを読み、彼―――雨野たくろうは、微笑を浮かべて呟く。
「うん。頑張る」
 そしてキーボードに向かい、メーラーのメッセージ作成モードを立ち上げる。
 手をほぐしながら意気込んで。
「さーて、どんな返信しようかな……」
 それを考えるだけで、心から楽しくなる瞬間であった。

 未だ大学に入ったばかり。やりたい事はまだ基礎から積み上げるだけの状態。
 バイトも始めたばかりで忙しい事だらけだ。だが。
 地元で花園短大に通いながら、家業である花屋の手伝いをしているひなぎくとのメール交換は大学に入ってから最低でも週3回は続けている。

 たくろうの入った大学の名は『聖オルフェウス学院大学』と言う。自らの母校、花園学園の姉妹校。
 学園経営者は同じだが、資本主体が違う。そんな、れっきとした日本の学校。
 下位に保育所・幼稚園・小学校を擁し、関連施設に各種社会事業主体団体を設けている。
 たくろうの在籍する学科は聖オルフェウス学院大の人文学部・人文学科。専攻は一応福祉であるが、ただの福祉ではない。
 『電子情報・福祉システム専攻』である。これからの情報化時代と福祉時代。情報の波に翻弄されながらも何者にも依らず自立すべき利用者たちにどのような援助が必要となるか。それを研究する学科である。
 ただ『社会福祉士』や『福祉住環境コーディネイター』等の資格を取る勉強もしなくてはならないので、大忙し……でもある。
 彼なりにこの数年間いろいろと考えて学ぼうと思った道なのであるが――――。
 閑話休題。
 とりあえず彼なりに、日々を頑張って過ごしているのであった。

「……と、言うわけで。明治7年に成立した『恤救規則』は日本最初の救済法であったわけだ。しかし、これはあくまでも『相互扶助』が前提に来ており、どれだけ保護者よりの虐待を受けようとも、保護者がいる以上は国は手を出さないと言う事もありえた。この保護者・扶養者と言うものが曲者で、日本では特に児童の保護者に対しての親権と言うものが強力に在している。故に、つい先年まではどれだけ児童虐待を目の当たりにしてワーカーが被虐待児を保護しても、親に親権を振りかざされればそれ以上何も言えない、みすみす虐待が起こる家へ返さざるを得ないと言う事体が当たり前のように行われてしまっていた。先年の児童福祉法及び施行規則の改正は、この問題点にたいしての改良が成されている。問題がある、即ち虐待を再び行うおそれのある親に対しては、公権力介入。即ち警察のワーカー・福祉事務所・施設への協力を許している」
 教授の黒板に書かない、とりとめもない熱っぽい講義を聴きながら、たくろう。夢中でノートを取っている。
 本来、大学の講義とはこのようなものである。あらゆる話を即座にノートに書き取り、自分で整理し、疑問点は後に本を調べるなりして解明し、解らなければ教授に尋ねる。黒板の内容をノートを書くだけでは駄目なのだ。
 最初は戸惑っていたものの、最近はそれに何とか慣れている。
「現在の介護保険法は、保険と言うシステム上『相互扶助』と変わる所はあまり無い。互いに金を出し合い、システムを支えるのが、保険の基本的なところだからだ。これが現業の専門家いわく『福祉は死んだ』であり『福祉は大きく前進した。しかし、その中身は前次代、福祉黎明期の頃のものへと大きく後退した』と言う事なのだ。逆に机上の専門家は『福祉に契約原理が導入され、素晴らしい物になった』と言う。解るかな?よくこのシステムにおいて『介護がやりやすくなる』と言われている。しかしそれは大きな間違いで、下手をすれば『本当に必要な人間に本当に必要なサービスを受けてもらう事ができない』落とし穴に陥ってしまうのだ。利用者はどちらにしろ、サービス内容の一割を負担せねばならない。即ちこれは制度上にとって都合のいい机上のシステムにしか過ぎず、現在調整が待たれているのだが……」
 そこで。チャイムが鳴る。
 教授はそれに気付いて顔を上げた。
「んー。それでは、今日はこれまで」
 その言葉に反応し、ノートと教科書をしまうたくろう。
 急がねばならない。今日は、バイトがある。
 だが、不意に横から「おい、雨野」と、声がかかった。振り向いてみる。
 そこには、たくろうと同じ学部学科専攻に在籍する同期生の姿。彼(男性だ)は細い瞳をたくろうに向けて、言う。
「今日の工場のバイト何時からだっけ?」
 たくろうのバイト仲間でもあるらしい。にこやかにたくろうは答える。
「えっと……君は5時からだね。ボクは5時45分から。急いだ方がいいよ、京介。今が4時15分。スクーターで飛ばしても30分かかるから……」
「おう。了解!!あんがとよ!」
 たくろうの同期生、宇野京介。彼は気楽に請け負うと、教室を飛び出していく。
「まったく、お気楽と言うか、プレッシャーを知らないと言うか……」
 たくろうは肩を竦めると、自分もまた講義室を出る。すぐに行こうと思ったが、京介の登場で気勢が殺がれた。
 しばし図書室で時間を稼ぐつもりだ。先程の講義で解らない所もあるし、調べるには30分もあれば……。

 図書館で数冊の本を選び出すたくろう。しばし読みふける。
 必要な事も調べたし、残す本はあと一冊。
 積み上げてある本の中、その最後の一冊を手に取って。たくろうはいぶかしげにその本の表紙を見る。
「…………??しまった。本を間違えちゃった……」
 本の赤い表紙に題名は無い。とりあえず開いてみる。
「え〜〜と」

 ――――即ち。この地方における神話は、3人の天使を奉じている。
 3人の天使は、それぞれに『情熱』『清純』『無邪気』を象徴しており――――。

「あちゃー。これって、民俗学の本じゃないか……?そりゃあ、ウチの学科は人文だからその手合いの本もあるけど……」
 苦笑するたくろう。だが、内容に興味を引かれた。更に読んでみる。

 ――――これらの天使は、更に上位にある天使の元にいる。
 彼女たちは、その上位天使を守護する戦乙女としての性質も併せ持っていると、神話は告げる。
 彼女たちを統べる神は、愛を司ると言うが、これはいわゆる、ローマ神話におけるヴィーナス、ギリシャ神話のアフロディーテを指すと推測できる。
 その根拠は、この地方の文化圏のラインがものの見事にローマ・ギリシャ線と一致するからだ。
 この地方には、パルテノン様式の建物もよく見られている。案外とこの辺がこの文化圏の発祥ではないか?とも思えるのである。

 いつのまにか。たくろうは本に没頭していた。
 根拠無き、こじ付けの異説ではあるが、面白すぎる。
 どうやら何らかの本か伝説かについての写本+論文の体裁を取っているらしい。
 それに……どこかで聞いた話だ。なんとなく、心当たりが。
 思い出すのがなんだかもどかしい。喉の奥まで出ているのに、出て来ない。そんな感じだ。

 ――――この民族は、戦乙女としての天使を象徴する『何か』をその身に奉じる事で、天使の加護を得ていたようである。
 それがどれほどの効果を発する物なのかは解らないが、伝説に言う『天使に愛されし者』は、その力を完全に引き出せると言う。
 だが、彼らの残した書物によると、彼らの歴史の中では、ついに『天使に愛されし者』は出てこなかったらしい。

 参考資料として、本の最後にこの文明の物らしい石版や書物の写真があった。
 その下には、対比として、ひらがなでの音訳とその意味訳が並列して書かれてある。
 たくろうはぽつりと。そのなかの一つ『無邪気』を象徴する者の加護文を読んでみた。
「……でぃじあ・ある・ふぉーるてる・ぷらいと・すくりーむる。ふぉるあ・むらすた・くらーすのす・ふぃりあ・ふぉる。そふぃあ・ふぇる・らふぁーす・そる・いりゅーてる。ふぃろ・そふぃあ・ふぃりあ・ておーりあ・あたらくさ・あぱてぃあ……」
 何も起こらない。当然である。
「あははー。こんなので、何とかなったら、人間苦労はないよね」
 照れ隠しに小さく笑うたくろう。そして、その横にある意味訳を読んでみる。
「無邪気を司りし者。愛の意味を知る者。力強き意志を持ち、あらゆる万難を廃する、時と風の天使。我、慈しみを受けし汝に願う。我が光を奪わんとせし者たちに。光と希望を奪わせぬために。汝の力、我に持ち。更なる奇跡を、与えたまえ……!!」
 しばしの沈黙。
「……どちらにしても。なんだか、怪しいファンタジー小説にでも出てきそうな呪文だなぁ……。この場合は天使の力を借りるから、呪じゃなくて真言かな?そう言えば、修験道とかにも神の力を自分の身に降ろす方法があるって聞くけど……」
 その時。腕時計のアラームがなる。時計を見るたくろう。5時10分。
「うわ、まずっ!!」
 バイトに遅れる。そう思ったたくろう、慌てて必要な本を借り出す。
 ……勢いに任せて例の本も持ってきてしまったが、時間が無い。また、空いた時にでも返せばいい。
 手続きを終え、図書館を飛び出すたくろう。
 駐車場に行って、スクーターに飛び乗る。
 ヘルメットをかぶり、イグニッションキーを回し、ブレーキかけてスロットル。少しずつブレーキをゆるめてスタート。
「よし、行こっか!!」
 全開のスピードを上げるスクーター。十分にスピードに乗りながら、たくろうはバイト先の食品工場に向かう。
 15分ほど経過して、思ったより早く行ける。そう思った時だった。
 ――――運命の罠は、常に。思わぬ所からひょっこりと顔を出す……。

 ネコを見かけて、引かない様に進路を変える。その瞬間、信号の無い交差点の一部が死角となった。
 スピードを落とせばよかったが、急いでいたためにそれを怠った。だが、落とすべきだったのだ。
 なぜなら、その死角となっていた瞬間にトラックが交差点に侵入していたからだ。
 慌ててそれを認め、ブレーキをかけるたくろう。
 向こうも思いっきりブレーキを踏んだであろう。だが。
 車は急には止まれない。必死の思いでスクーターを進行方向に垂直に倒す。
 がりがりがりがり。火花が散る。止まらない。手を離す。
 バイクと離れる。しかし、慣性の法則。自分の体は落ちながら、なおも前に進む。
 ぱぱー。トラックのクラクションが聞こえる。無駄。向こうでも解っていた。だが、鳴らさずにはいられないのだろう。
 運命の罠は、常に。思わぬ所からひょっこりと顔を出す。
 トラックのトン数は10t。せめて、トラックの前には……。だが。
 たくろうの体は追い風に乗り、前に押し出され。
 その体は、猛スピードのトラックの真ん前に。
 たくろうの脳裏に、思い浮かぶ顔はただ一人。彼女の成長を横で見て来た自分。その記憶が走馬灯のように脳裏に流れ行く。
(ひなぎくっ……!!)
 心の中の絶叫。
 どんっ……!!鈍い。だけど鋭い音が聞こえた。
 衝撃でたくろうの意識が一瞬飛ぶ。地面への数回のバウンド。体中が。
 本来なら、そこに関節の無いはずの場所が、異様な方向に曲がっている。
 痛みは遅れてやってくる。目の前がプチプチと異様な光に包まれる。
「あまのーっ!!」
 バイト仲間の声が聞こえる。既に工場の前だったのだろうか――――?
 たくろうの意識は。闇と光の混濁に。呑まれていく。呑まれていく――――。

 これが運命の仕掛けた罠ならば。なんともむごい罠なのだろうか……!!!

 花園町に、一軒の花屋がある。
 フラワー珠野。
 たくろうの幼なじみにして彼女のひなぎくの家である。
 ボリュームの多い髪を、アップにリボンでまとめてある。意志の強そうな瞳。性格も実際そのとおり。
 その彼女。先程、たくろうの声を聞いた気がした。せっぱ詰まったように「ひなぎくっ」と。
 思わず立ち上がってしまったが。そんなはずはないとレジに座り直す。たくろうは遠き地方の空の下なのだ。
 きっと、いい勉強をして、また自分の元に帰ってきてくれるだろう。
 一方の自分は、短大から帰って、出前に出た両親の代わりに店番をしている。18時。もうそろそろ帰ってくる時間。
 PLLLLLLLLL……。
 電話のベルが鳴る。また、注文なのだろう。受話器を取る。
「はい、もしもし。フラワー珠野でございます」
 彼女らしくない、ビジネス向けのオクターブの高い声。
 受話器の向こうから、震える声が返ってくる。
「す、すいません……!!あの、その、珠野ひなぎくさんはご在宅ですか?俺、聖オルフェウス学院大学での、雨野たくろうの同期で、宇野京介と申しますが……」
 その声に、妙な不安感を感じてひなぎくは地で答える。
「ひなぎくはおれだけど……」
「あぁ、よかった……いや、よくないんだけど。珠野さん、こちらにすぐに来て下さい。雨野が、雨野が……っ!!」
 緊迫する声。ひなぎくの不安感が、更なるものへと発展する。
「来てくれって……!!まさかたくろうに何かあったのか!?」
 聞かない方がよかったかもしれない。だが、聞かずにはいられなかった。
「バイトへの途中で……!!トラックに跳ねられて!!意識不明の重体……両親への連絡は済ませて……!!今日明日が山で、医者も生命の保証をしかねると……!!」
 かこーん、と。受話器が下に落ちた。目を見開き、呆然とするひなぎく。
「もしもし!?もしもし!?聞こえてますか??珠野さん……珠野さん!!」
 叫ぶ受話器をひなぎくは、のろのろとした動作で再びつかむ。しっかりしろと自分に言い聞かせるように。
「わかった……すぐに……発つから……」
「お願いします!!それから、雨野の親しい友人がいたら、一緒に連れてきて下さい!!もしかしたら、これが今生の別れになるかも……」
「縁起でもない事を言うな!!」
 いつの間に流れていたのか。涙ながらの怒声が響く。
「すっ!!すいません……!!」
「あいつは……っ!!」
 何かを言いたい。言葉にならない。溢れるほどの感情が。制御できない激情が。
 それでも。必死に冷静になろうと務めるのは、成長の証だろうか?
「とにかく、お願いします」
 受話器の向こうに声を遠く聞きながら。ひなぎくは「ああ」とだけ返事をする。
 受話器の通話が途切れる。後に残るは発信音。
 受話器を置くひなぎく。再び上げる。
 プッシュボタンを押す。友人の家に。発信音数回。出て来たのは――――。
「はい、もしもし。ももこでーす。ひなぎく?どーしたの?」
 相手は携帯電話。話を長引かせると、経費に響く。解っているが――――。
「ももこ……たくろうが……たくろうが……」
 涙がボロボロと零れ落ちる。後は言葉にならなかった。口から痛い嗚咽が漏れる。
「どうしたの?どうしたの、ひなぎくっ!!」
 尋常ではない事を察したらしい。ももこの声がせっぱ詰まる。
 だが、ひなぎくは言葉を紡ぎ出そうとするがどうしてもそれができない。
 ココロガイタイ――――。ドウシテイイカワカラナイ――――。
 昔だったら、もっとストレートにすぐに行く事ができたのに。今の自分でも、きっとそうするはずなのに。
 ドウシテ……。
「とにかく、すぐにゆりたちとそっちに行くから!!待ってて!」
 受話器の向こう。電話が切れる。
 ゆっくりとひなぎくは電話を切る。そして、奥に向かって叫ぶ。弟が帰ってきていたはず――――。
「明、明っ!!」
 奥から声が聞こえる。
「なんだよ、ねーちゃん!」
「ちょっと、店番代わってくれねーか!!急用ができたんだ!!」
 弟に動揺を悟られたくはない。涙を拭い、いつもの口調で言うひなぎく。
「なんだよ。ねーちゃんの仕事だろ!?」
 ぶつくさ言いながら降りてくる明にひなぎくは言う。
「すまねえ。頼む」
 明はちょっと腕を組み、言う。
「勉強もしなきゃなんないしさぁ。そーだな……今度のライブハウス『プラタナス』のゴールドチケット!!」
「乗った!!」
 自分の財政状況を考えるとあまりにも痛いが、躊躇している暇はない。問答する時間も惜しい。
 それだけ返事すると、すぐにひなぎくは自分の部屋に飛び込んで、旅支度を始める。
 そんならしくない姉を見て、弟はぽつりと呟く。
「普段なら、すぐにプロレスになるのに。ホントにせっぱ詰まってんのか……悪い事したかな??」
『ひなぎくっ!!』
 明が呟いたと同時に、3人組の女性の声が響く。この声には聞き覚えがある。姉の友人たちだ。
「どうも。ご無沙汰してます」
 挨拶する明に、長い髪の両側をリボンでとめた女性―――花咲ももこ―――と、ロングな髪のお嬢様っぽい清楚な女性―――谷間ゆり―――が尋ねる。
「ひなぎくは?」
「ひなぎくはどうされたのですか?」
 前者がももこ。後者がゆり。そして、2人の横で冷静に状況を見守っている赤く長いふわりとした炎髪の女性。スカーレット小原。
「2人とも、そんなにせっぱつまってどうする。脅えているぞ?」
 その通りだった。2人の剣幕に押されて、明はすっかり脅えている。
「ね、ねーちゃんなら上です……」
 震える声で上を指差す弟。2人は顔を見合わせて無言で頷くと、どかどかと家の2階へ上がっていく。
 スカーレットはため息をつき、明に言う。
「すまない。どうやら、あいつら、我を失っているようだ」
 明は苦笑しながら言う。
「解ってます。あの人たちのつきあいは昨日今日の事じゃないから。ねーちゃんって、幸せものなんですよね。ああいう友達がいて……」

 翌日早朝、始発電車も未だ動かぬ花園ヶ丘駅前。
 立っているのは数日分のお泊まり荷物を持った4人娘。長期滞在も可能なように準備してある。
 なにしろ、たくろうが事故を起こし、明日をもしれぬかもしれない。その事情しか知らない。どれくらいの滞在になるかも解らない。
 だから、そのような準備をしているのだ。そして、彼女たちはある人物を待っている。
 やがて。花園大サッカー部のキーパーユニフォームを着た見るからに活発そうな青年がやって来る。風摩ようすけ。ももこの彼氏である。
「ももこっ!雨野のやつが事故ったって……!!」
 第一声がそれだった。ももこは頷いて、ひなぎくに視線を移す。一方のようすけも、同じように視線を移す。
 ひなぎくはじっとうつむいたまま。どうやら、ももこの言わんとする事が解ったらしい。頷く。そして言う。
「まぁ、あいつならきっと……な。大丈夫だ」
 根拠の無い元気付けではあるが―――。言わないよりはましだろう。
 ようすけより遅れる事数分。こんどは白衣を着た整った顔の青年がやって来る。柳葉和也。中学・高校を通しての彼・彼女らの先輩である。特にようすけとは『部活の先輩・後輩』の間柄。現在ではサッカーをやめて、大学にて量子力学を専攻している。と、同時に。ゆりの彼氏でもあるのだ。
「和也さま。お待ち申し上げておりましたわ。さ、さ。参りましょ」
 そそくさと和也の腕を組むゆり。和也は苦笑して、言う。
「いや、そう浮かれている場合でもないだろう。雨野くんの様態が心配だしね……」
 その言葉に、びくりとひなぎくの肩が揺れる。
 和也は、そんなひなぎくを安心させるように肩に手を置く。
「落ち着くんだ、珠野くん。君が信じなくて、どうする。大丈夫だ。彼はきっと帰ってくる」
「はい……」
 言葉少なに頷くひなぎく。
 支えるように、ひなぎくの両肩を後ろから持つスカーレット。
 多少しんみりとした集団。だが、バカ笑いが彼らのいる空間をつんざく!!
「ハァ〜〜〜〜ッHAHAHAHAHA!!!!!ど〜もで〜すね〜〜諸君!!オ久しぶ〜りな〜のでェ〜〜ッス!!」
 その言葉に、スカーレットの肩が。がくりんとずれる。
「こっ!!このバカ笑いは……!!」
 10月も半ばだと言うのに(いや確かに今年は熱いのだが)ヒゲハナメガネつけてアロハシャツ着て下駄を履き、ウクレレ鳴らすバカ!!
 バカ笑いを炸裂させながら、周囲を脱力させる。顔の素材はすっごくいいのに、醸し出す雰囲気はどっから見てもバッタモンアメリカン!!
 周囲が引いてる、異空間!!自称アメリカのリーダー城×!!T○KIOに謝れ、このやろう!!
 天下無敵のお気楽極楽お調子者。米国の恥、いや、世界の恥、悪魔界・天使界・人間界の3界全ての恥(スカーレット談)!!
 とある事情で知り合った、スカーレットの友人。近年アイドルグループTOKI○の×ーダー城島にインスパイアされている、花園学園大学部・学業特待留学生のディーン・バトラーである。アメリカに里帰りと聞いていたのだが……!!
 スカーレットの体が、ふるふると怒りに打ち震える。
「ナァ〜〜にしろっ!!我がディアな友人の一人、アマノッチが事故!!ジコ!!イッツア〜〜〜クシデ〜〜〜ンッ!!によってである。それがし、仁義を感じ心より追悼の意を表明する次第でアリマス。アメリカから情報聞きつけて飛んできましたのコトよ。何しろスカーレットが行くらしいったららしいったら大変だったアル。しっかし事故とは……!!で、どのくらい?死ぬほど??」
「この、大馬鹿者おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 すぱっこおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!!!
 スカーレットの持つスリッパが、一挙にディーンをはたき倒す!!
 うずくまるディーン。ポツリと言う。
「……スカーレット、痛い」
 そんなディーンに、スカーレット。
「アンタは呼んで無いっ!!ディーン!アメリカに里帰りじゃなかったの!?」
 するとディーンはすっくと立ちあがり、髪を掻き分けて言う。
「ふ……友が倒れたと言うのに、呑気にアメリカに帰っていられるわけが無いだろう。それに……」
『それに?』
 スカーレットを覗く全員の疑問符。得意げにディーンは語る。
「スカーレットの……」
 マジメな顔でスカーレットを見る。ただしヒゲメガネそのまんま。そして、言葉を続ける。
「スカーレットの家から出された燃えるゴミ・燃えないゴミを回収して、いろいろと調査するのに忙しくてな。うむ、先日の(各種問題を考えて自粛します。勝手に想像して下さい・木山)はかなり感激したぞ。最高のコレクションがまた一つ増えた」
 ピシッ!!と周囲の空気が凍る。ススス……とスカーレットが物陰に隠れる。そんな彼女に不穏な状態を感じ、そっと後をつけるももことゆり。案の定エンジェル・サルビア(ファイター・エンジェル・モード)に変身して、セント・ツイン・ソードを持ち、キレた危ない笑みを浮かべている。
 一歩を踏み出そうとするサルビア。それを慌ててももことゆりが止める。
「きゃだああああぁぁぁぁぁっ!!ストップ、サルビアああぁぁぁぁぁ!!!」
「い、いけませんわ!!愛天使が人を殺めるだなんて!!」
「離せえええええぇぇぇぇぇっ!!斬る!!あいつだけはぶった斬る!!」
 真っ赤になって完璧にキレてしまっているサルビア。スカーレットが変身してそんな事を叫んでいる―――どころか、彼女が天使である事さえ知らないディーンはばか笑いを続けている。
「なかなか燃えますよ、ストーカーごっこってヤツも。どうです、センパイ。フーマくん。一度やってみてはいかがかな?マンネリに新たなる関係が築けますよ?」
 その言葉に、名指しされた男2人は苦笑し、両手をぶんぶか振って言う。
「いや、俺はちょっと……」
「え、遠慮しておくよ……」
 そこまできて、ディーン。にこりと笑う。今までのばか笑いではなく、正真正銘の優しい微笑。
 それを見て、サルビアの動きがピタリと止まる。
「ナ〜〜んてね。そんなの、ジョーダンに決まってるじゃないですかァ。イッツァ・ジョーク!!いくら俺でも、そんなにVery Foolじゃあナイですネ!!HA-HA-HA-HA-HA!!!」
 その言葉に、サルビア。脱力してスカーレットに戻る。
 それを見て、ももこもゆりもほっと胸をなで下ろす。
 だが、スカーレットはそのまま前に出て、つかつかつかとディーンに近付く。
 そして、思いっきりスリッパを振り上げる!!
 すぱああぁぁっっっっこおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんんんんんんんんん!!!!!!!
 先程よりも重くよく響く小気味よい音。吹っ飛び、スライディングするディーン。
「……スカーレット、痛い」
「自業自得。悪趣味なジョークをかますから。斬られなかっただけ感謝してもらいたいものだ」
 顔は笑みを作っているが、瞳は笑っていない。ディーンは肩を竦めて言う。
「O.K、O.K.ダ〜イジョ〜ブ!!安心してマカせて!!泥船に乗ったつもりでいてくれりゃいいサ!!」
「沈むわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 バキィ……スカーレットの美しいストレートがディーンの顔に入る。
 一部始終を見ていたひなぎくの顔から笑いが漏れる。くすくすくす……と。
 笑っちゃ悪いと思いつつも、つい笑ってしまう。失笑と言う奴だ。
 その笑いを見てディーン。ニカッと笑う。
「Oh、やっと笑ったネ。ソーソー。笑うのがイチバンヨ?笑えばカイロのコヨリありってね!!笑ってりゃ、雨野くんにもきっと幸運訪れるって!!」
 その言葉にスカーレットの表情がはっとなる。
「ディーンそれ言葉違う。『待てば海路の日和あり』が本当なんだけど……アンタ、まさかコレをわざわざ狙って!?」
「サ〜サ、行こ行こ。予定では、そろそろ列車の発車時刻ダヨ」
 はぐらかすディーン。それに促されるように、ももこたちもホームへと急ぐ。
「ちょっと、ディーン!!答えなさい!!」
 叫ぶスカーレットだったが、ディーンは微笑を浮かべるだけで何も答えようとはしなかった。

 暗い中に一本の光の道。目を覚ましたたくろうは、その道の上に立っていた。
「??」
 周囲を見回す。数多くの人がいるが、全員互いに関心を持っていない様だった。
 彼らに共通するのは、皆笑っているという事。あらゆる苦しみから解放されたような笑みを浮かべているのである。
(とりあえず、行ってみるか……)
 諦めて進むたくろう。しかし不思議なもので、一歩進むと心の中がだんだんと軽くなっていく。
「あ、こりゃいいなぁ……」
 本当は『こりゃいいなぁ』などとゆーちょーなコトを行っていられる場合ではないのだが、たくろうはそれに全く気付いていない。
 人間と言う存在は、どうも都合が悪かったり、究極の位置に立たされたりすると、自分の立場が見えなくなるものらしい。
 今のたくろうは、まさにその状態だった。
 ちょっと考えれば気付くはずだろう。今、自分がどんな体験をしているのかと言う事に。
 やがて闇の中の一本道は、光り輝く花畑の中の一本道へと変化する。
 そこにはあらゆる花が咲き乱れている。中には、自分が知らない花もある。
 たくろうはある花を見つけてそこで立ち止まった。ひなぎくの花。
 じっと見つめる。たくろうはその場に腰を下ろして、花に言う。
「行ってくるね」
 そして、立ち上がった。だが、歩が進まない。
 まるでその花が。行かないでとでも言っているように。
 首を傾げるたくろう。
 しばらくその場に立ち尽くして――――どのくらい経ったのだろうか。
 ようやく歩を進める。先へ、先へと。

「だめだ……たくろう……いくな……」
 ハッと目を覚ますひなぎく。目頭を抑える。
「どうしたの?ひなぎく」
 心配そうに尋ねるももこに、ひなぎく。
「夢を見たんだ。おれは道端の本当の小さな『ひなぎくの花』で。そこはいろんな人が通るんだ。先にあるどこかに向かって。でも、帰って来る人はあまり見た事が無い。一方通行らしいんだよ。そこに……そこに、さっきたくろうが……!!」
 感情が高ぶるひなぎく。宥めるように手を握り背中をさするももことゆり。
「おれ、おれ、必死で行かないでって頼んだんだよ。でも、でも、たくろう、おれだって気がつかないで行っちまった……!!」
 その話をボックス席で背中越しに聞きながら和也が呟く。
「まずい……まずすぎる……!!」
 その呟きは幸いな事にひなぎくに聞かれる事はなかったが。
 間違いなく。和也の顔には、めったに見られぬ焦燥の色が現れていた。

「水音……?」
 たくろうの眼前には、大きな河が横たわっていた。
 多くの人がその河へと歩を進めていく。遠浅の河らしく、皆くるぶしの所までしか水をかぶっていない。
 河を渡る人たちの手を、黒いローブの人物たちが引いている。
 また、一歩を踏み出すたくろう。その途端に、ぶぉん、とでも言った妙な感覚を受けた。
「………?」
 おもわず後ろを見る。だが、何も無い。再び前を向いて歩を進めようとするたくろうだが、奇妙な事に気付いた。
 もう一度後ろを振り返る。何も無い。本当に何も無いのだ。
 今まで自分が歩いて来た道も、花に心惹かれた畑たちも。
 何も無い。
「こ、これは……」
 呆然と立ち尽くすたくろう。しばらくして、再び河に向き直る。
 河の対岸に多くの人たちが見えた。が、その中に幼い頃に亡くなった、自分を可愛がってくれた祖母の姿。
「おばあ……ちゃん……?」
 懐かしさに足を踏み出そうとする。しかし、それは止まった。
 祖母が涙を流しながら無言で手を振っている。
 それは間違っても、再会を喜ぶ歓喜の表情やかわいい孫を招いている表情ではなかった。
 涙を流し、厳しい顔をして―――追い払うように手を振っている。
(きちゃいけない……帰りなさい、たくろうっ……!!)
「おばあちゃん……!!」
 踵を返そうとするたくろう。だが、その前に目深にフードをかぶった人物が立つ。
「どこへ行くの?たくろう」
 その人物の声。どこか聞き覚えがある。
 たくろうは心の中に浮かんだその声の主の正体を否定した。彼女がここにいるはずが無いからだ。
 それを思い、きっぱりと言う。
「帰るんだ。みんなが待ってる。ここは、かの有名な『三途の川』ってヤツじゃないのか?僕はまだここを渡るわけには行かない。父さん、母さん、みんな……僕にとって一番大切な、ひなぎくの元へ帰らなきゃいけないんだ!!」
 その叫びに。フードの人物はクスリと笑う。そして、そのフードを取る。
 フードの下から現れたのは、ひなぎくの顔―――。
「……!!ひなぎく?ど、どうして……」
 ここにいるはずの無い人物。彼女はたくろうの言葉には答えずに手を差し出して言う。
「行こう?たくろう……」

 駅の改札口で、ひなぎくたちはたくろうと同じ位の背丈の細目の青年―――宇野京介と合流した。京介の運転するワゴンで病院まで向かう。
「……雨野の状態は、どうなんだ?」
 助手席で京介に尋ねるようすけ。
「あまり楽観視はできないそうです……」
 京介の重々しい答えに、ひなぎくの体がびくりと震える。
「たくろう……」
 弱々しく呟くひなぎく。ゆりはキッと運転席の京介を睨むつけて叫ぶ。
「ちょっと、宇野さん!!どうしてそんな否定的な事を言うんですの?もう少し配慮と言う物を考えて下さいまし!!」
 その言葉に京介は淡々とした口調で答える。
「希望的観測は、人に心の準備を取らせない無防備にさせる油断を生む。それに……本当に危ないんだ。そのように言う事しかできないんですよ。状況はせっぱ詰まっているんです。俺だって普段は楽天家で通ってるから、気楽な事を言いたいのは山々ですが―――」
 やがて車は病院へと滑り込む。
 真っ先に車から飛び出すひなぎく。
 急いでそれを追うももこたち。
 受付を抜けて、車の中で聞いたICU(集中治療室)の場所へと向かう。
(たくろう……たくろう、たくろうっ!!)
 幾度もたくろうの名を心の中で呼ぶ。やがてICUの廊下が。そこに出してある固いチェアの上に、たくろうの両親がいた。
「おじさん、おばさんっ!!た、たくろうは??」
 その叫びに、ワンレンカットのたくろうによく似た年輩女性―――たくろうの母―――が振り向く。
「ひなぎくちゃん……来てくれたのね?ありがとう。あなた、ひなぎくちゃんよ」
 今にも倒れてしまいそうな弱々しい声。その横で苦虫を噛み潰したような顔をしたいかにもエリート官僚と言ったいでたちをしたオールバックの鋭い小さな瞳を持つ男性がじっと親の敵でも見ているかのごとくICUのドアを睨んでいる。妻の声に少しだけこくりと頷いた男。たくろうの父だ。
 しばし遅れてももこたちもその場に到着する。
 長い長い沈黙が周囲を支配した――――。
 だが、やがてICUから医者が出て来る。
 その後ろからストレッチャーががらごろと運ばれる音。医者はゆっくりと言った。
「雨野たくろうさんの関係者の方々―――いらっしゃいますか?」
 たくろうの両親が立ち上がり、医者の前に出る。医者の横にストレッチャーが運ばれた。
 ストレッチャーには人間が寝転んでおり、その上には白い布がかぶせられている。
 医者は沈痛な面持ちで言った。
「……最善は尽くしましたが、残念です。午後2時58分。ご子息雨野たくろうさんの死亡を確認いたしました」
「……あぁっ!!」
 その場にうずくまり、泣き崩れる母。何かを必死にこらえている面持ちの父。
 父は自制を保ち、必死に言う。
「ありがとう……ございましたっ……!!」
 その様子を見ながら。ひなぎくの体から力が抜ける。意識が遠のく。心臓さえ止まるような気がする。
 周囲の仲間たちが慌ててひなぎくの体を支える。だが。ひなぎくの意識はそのままブラック・アウトしてしまった――――。

 目を覚ました時。ひなぎくの体は病室のベッドの上。
 非常に静かな時―――。
「ひなぎく……大丈夫?」
 覗き込むももこ。他の皆も心配そうに自分を覗き込んでいる。
「あぁ……大丈夫……」
 ひなぎくはむくりと起き上がって尋ねる。
「たくろうは?」
 その言葉に。皆、あのスカーレットでさえも口篭もる。
「死んだよ」
 その中にきっぱりと響いた声。それは、ディーンのものだった。
 軽いショックを受けるひなぎく。あの最後の瞬間。夢であって欲しかった。それがディーンの言葉によってあっさりと打ち砕かれた。
 それにも関わらず、ディーンは続ける。
「たくろうは……死んだんだ。もう僕らの元には帰ってこない。二度と……」
「ディーン!!」
 ばしぃっ……。涙を浮かべながら、彼をはたいたのはスカーレットだった。
「なんで、そんな……あっさりとっ……」
 スカーレットの声は怒りに震えていた。慈悲の欠片無きディーンの言葉に。
「そうですわ!!そんな……ひどい……!!」
「あんまりよ!!なんでひなぎくの心の準備ができるまで待ってあげられないの!!」
 口々に叫ぶゆりとももこ。だが、彼女たちにディーンは言い放つ。
「じゃあ、何ができる!!」
 その叫びに。周囲が静まり返る。
「何をどうしようと、死んだ事実は変わりはしない。それを変える術は無い。ならば時間を置いても無駄だ!!はっきりと言って受け止めさせてやる――――その方が、慈悲なんだっ!!」
「てめぇっ!!」
 ようすけが不意にディーンの胸座を掴み、拳を振り上げる。
「ようすけっ!!」
 叫ぶももこ。ようすけの拳は――――ディーンの頬を掠り、壁を打ち付けていた。
 ようすけは悔しそうに呟く。
「解ってるよ……解ってるよ、そんなコト……お前は正しい。間違いなく……だけどよぉ……だけどよぉ……っ!!」
 顔を上げたようすけの瞳から涙が流れ落ちる。
「だけどよぉっ……そんな合理的なモンじゃねえだろうがよ……!!」
 2人を見るももこたち3人娘。だが、その時3人娘の瞳がディーンの瞳に光る物を見つけてはっとなる。
「そんな事は解ってる。でもな。死んだら最後、Good-byするしかないんだ。どんなに愛しい人でも。どんなに苦しくても。そうするしかない……早い方が、苦しみもその分少なくて済む……」
 ディーンも。ようすけも。つらい。心が痛いのだ。友との別れを。感じているから。
 ようすけやももこたちはその痛みからひなぎくを遠ざけようとした。
 ディーンは早く直面させ、その分早く痛みから解放しようとした。
 どちらが正しいか―――それは誰にも解らない。
 ただ言えるのは。事実から逃げられないという事。
 彼らの後ろで、和也が重々しいため息をつく。ゆりが気付いて声をかける。
「和也……様……?」
 和也は重々しく答えた。他の皆に聞こえぬように小さな声で。
「つらいものだよ……何もできはしない……天使、いや、神でさえも……『死』と言う運命の律から抜け出る術は……無い。死せる魂は、冥界に行き浄化され、全てを忘れて転生する。凄まじい力がかかった魂ならば―――例えば、以前に強い思いを残した者や、天使族や悪魔族、もしくは私たちと同様程に魂の力の強い者の魂ならば、多少は記憶が残り、それが増幅すれば前世の記憶全てを蘇らせる事も可能だが……普通の人間の場合は完全に前世の記憶を浄化されてしまう。もしたくろうくんが転生してもそれはたくろうくんじゃなく、誰も知らない別の誰かだ。それに……天使は口を出せない。それが世界の『律』なのだから……」
 その言葉に、目を伏せるゆり。再び顔を上げ、ひなぎくの寝ているはずのベッドを見る。が。
「ひなぎくが……いない??みなさん、大変ですわ!ひなぎくが!!」
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 Syuuhei Kiyama /Dec.14. 2000