<第一話 冥界と現世〜少年天使の新生:Part2>

 病院地下、遺体安置所。
 簡略式の仏壇には、たくろうの写真が飾られている。
 ひなぎく以外、ここには誰もいない。
 たくろうの両親は、葬式の打ち合わせのため、病院の用意した応接室で業者と話をしている。
 たくろうの遺体。その顔に書けられた白い布を、ひなぎくはそっと持ち上げた。
「たくろう……オマエ……ホントは寝てるだけだろ?みんな引っかけようとして、こんなタチの悪い冗談かましてんだろ??なぁ、たくろう……」
 語りかけるひなぎく。だが、たくろうは何も言わない。死体は何も語らない。
「ディーンなんてすっかり騙されてるぜ?もう満足だろ?だからよ。目を覚ませよ。早く目を覚ませよ!!目を覚ましてくれよっ!!」
 がくがくと遺体の肩を揺するひなぎく。
「いいかげんにしろよ!!たくろうっ!!」
 バシッ……バシッバシッ……。たくろうの両頬を激しくビンタで打つひなぎく。
 当然のように――――冷たい体は何の反応も示さなかった。そして、ひなぎくは気付く。本当に体が冷たいと言うその事実に。
「た、く、ろ、う……」
 涙が溢れる。次から次へと、あふれ出る。底を知らぬかのように。天のバケツが。天使のバケツが。ひっくり返る。
「たくろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!」
 たくろうの名を叫ぶひなぎく。冷たい体にすがり付く。彼女の体中から、慟哭の嗚咽が漏れていた。

 バシィッ…………。
 激しい一瞬の衝撃が、頭を抜けるようにたくろうの体を襲う。
 立ち止まるたくろう。その衝撃は。現世にいる、ひなぎくの慟哭―――。
 呆然とする彼に、目の前の少女は振り返り尋ねる。
「どうしたんだ?」
 その瞬間―――たくろうは目の前の少女をドンっと突き放す。河の中に尻餅をつく少女。
「何するんだよっ!!」
 たくろうは。その言葉に静かに答えた。
「違う……違う!!君はひなぎくじゃないっ!!聞こえた……さっき頭を打ちぬくように聞こえたんだ!!現世にいるひなぎくの声がっ!!君は違う!何者なんだ!!なぜ僕の前に、ひなぎくの姿で現れたんだ!!」
 最後の言葉は既に怒りの叫びと化していた。触れる事さえも許されぬ大切な領域に、土足で踏み込まれた怒り。
 そのたくろうの様子に。目の前の少女は冷たく笑う。死の影を湛えた笑みを。その笑みを見て、たくろうの背筋がぞくり!!と寒くなる。
「君は……!!」
「雨野たくろう……気付かなければ……幸せな思いに包まれてあの世へ行き、全てを忘れる事ができたのにね。気付いた以上、多少痛い目に遭ってもらうよ?普通についてきてくれるのならば、別に危害は加えないけどね……」
 ベール姿の少女の腕には、いつのまにか大きな鎌が握られていた。いつのまにか髪が暗き紅に染まっている。
「ボクの名は……数多いね。ある魂は『渡し守』と言うし、別の魂は『死神』とも言う。だけどボクの本当の身分は天使なのさ。冥界を統べる死の神ハーデス様直属の天使。冥天使・レッドポピィ。それが……ボクの名前だ」
 じり……じり……少しずつせまるひなぎくの顔をした、無慈悲な死の香りを漂わせる紅髪の少女。たくろうの頬に冷や汗が流れ落ちる。
 ざっ……!!振り向き、現世の対岸へと戻ろうとするたくろう。
 ブンッ!!それと同時に死神の鎌がたくろうの背を打つ!!
「うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」
 凄まじい激痛―――。魂だけであるからして血は出ない。だが、魂そのものの外角が崩れてしまう。
 背中にきらめく傷がついている。それは魂そのものの傷。
「うぐっ……」
 激痛に耐えながら再びたくろうは起き上がり、走り出す。
 再び振り下ろされる死神の鎌がたくろうの肩を掠った。
 前に倒れながらも、手を前に出すたくろう。あと、もう少し。あともう少しで現世の岸に着く。そのはずだった。だが。
 バヂィッ!!と言う激しい音が、鳴り響き、たくろうは三途の川の中へと弾かれる。
 バシャ……と言う音とともに河の水に身を沈めるたくろう。
「どう……してっ!!」
 叫ぶたくろうに、冷淡な答えが返って来た。
「三途の河の水は、冥界の水。一度冥界の物質にその身の一部でも触れた者は二度と現世に帰れない。どれだけ、互いが望んだとしても」
 乙女座の乙女の伝説。冥界のざくろを食べたがゆえに4ヵ月冥界の王の妻とならざるを得なかった少女の伝説。少女の母である豊穣の神は、それ故に乙女のいない1年のうち4ヶ月間を泣き暮らし、冬としてしまった伝説。
 たくろうはそれを思い出し、身震いして叫ぶ。
「冗談じゃない!!」
 三途の河。岸と河の境目にある透明な、死者を弾く壁。たくろうは何度も、その壁に体当たりをする。
 だがその度に激しい放電がたくろうを襲い、魂を苛み、引き裂くほどの痛みを与える。
 それでもたくろうは、くじけない。幾度も、幾度も。果敢に壁に立ち向かう。
 全ては。愛しい人のために。そして、自分のために。そんな彼に、冥界の天使の声が冷たく聞こえる。
「諦めた方がいいよ。それ以上抵抗を続けると、転生さえもできぬほど魂が傷つく。それだけは避けねばならない。君をこの鎌で切り刻んででも連れて行かねば――――」
 たくろうはそれでも体当たりする。壁を拳で必死に叩く。死者を拒む壁を何度も叩き続ける。
 壁は真っ赤に染まり、一面に『KEEP OUT(立入禁止)』の文字。激しい放電に魂を痛めつけられながら、なおもたくろうは叫び、壁を叩き続ける。
「ひなぎくっ……ひなぎくっ……ひなぎくっ……ひなぎくっ……ひなぎ……」
 ブン!!死神の鎌が振り下ろされる。だが、次の瞬間。冥天使の表情が固まる。
 自らの鎌の刃がたくろうの魂に通らないのだ。
「な、なぜ……!!それほどに強い意志だと言うのか、この魂を突き動かしている想いは!!ならば!!!」
 鎌を構え直す冥天使。鎌の刃が激しい発光を起こす。それと同時、たくろうを打つ壁の衝撃が更に苛烈な物へと代わる!!
「――――――――――――――――っ!!!!」
 声にさえならぬ悲鳴。激しいショックが魂を揺さ振る。
 そのショックと同時。魂の奥に秘められた、封印された記憶が目を覚ます。
 それは、一人の幼なじみの記憶。
 人間でありながら天使である、少女の記憶。
 自らを救い、愛してくれた少女の記憶――――。
「ひなっ……ぎ、く……デイジー……」
『デイジーは無邪気な心の象徴だ。邪悪な風なんか吹き飛ばしてやるぜ!!』
 無邪気を象徴する天使の記憶――――。
 彼女の願いで、自分はその記憶を封印されていたのだ。余計な闘いに巻き込みたくないと言う彼女の優しさ――――。
 その記憶が。封印された記憶が。完璧なまでに蘇った。
 気がつけば。たくろうは見えぬ壁を叩きながら、その言葉を唱えていた。
 愛する者への、呼び掛けを。
「でぃじあ・ある・ふぉーるてる……」

 たくろうの遺体にすがり、嗚咽を漏らしていたひなぎく。その時。自らの耳元に聞こえぬはずの声が響く。
『無邪気を司りし者。愛の意味を知る者。力強き意志を持ち、あらゆる万難を廃する、時と風の天使。我、慈しみを受けし汝に願う。我が光を奪わんとせし者たちに。光と希望を奪わせぬために。汝の力、我に持ち。更なる奇跡を、与えたまえ……!!』
 それは、紛れも無いたくろうの声。
 それと同時に、たくろうの姿が自らの目の前に見える。
 冥界の河で。
 自分の元に帰ろうと。
 必死の思いで。
 決して破れぬ壁を魂の消耗も省みずに叩き続けるたくろうの姿。
 ひなぎくの瞳から。今までとは違う熱い涙が零れる。
『たくろう……たくろうっ……もういい……おれは十分だから、もう……!!』
 叫ぶひなぎく。だが、それはたくろうには届いていない。
 不意に気付く。何故その言葉がたくろうに届かないのかを。なぜなら、それは自分の望みでは―――ない。
 たくろうが望むのは。そして自分が望むのは。今、自分がたくろうに与える事ができるのは……。

 遺体安置室にたどり着くももこたち。ドアを開けて安置室に飛び込む。
「ひなぎく!」
 ももこが叫ぶ。それと同時だった。安置室に凄まじい愛のウェーブの奔流が一気に渦巻く。
「うわっ!!」
「なんだ、こりゃあ!!!」
 とてつもないエネルギー奔流の光の中、ようすけとディーンは目が眩み、よろめく。何も見えない。
 だが、愛天使たちは。そのウェーブの奔流の中、全てが見えていた。
 ウェーブの元はひなぎくの体。彼女からの、凄まじいまでのウェーブ奔流。
 ひなぎくの姿は普段着から、愛天使のウェディングドレス姿へと変化する。変身の呪文も無しに。
「何が……起こっているのだ……」
 和也はひなぎくを、デイジーの姿のひなぎくを。いや、エンジェル・デイジーを見て呟く。
「まさか!!死の律を覆そうと言うのか、デイジー!!いかん!!無茶だ!!」
「どういうことですの!!」
 尋ねるゆりに和也は答える。
 悪魔族との全面抗争終了後、和也は一時期自らの天使としての記憶を封じた事がある。
 だが、天使界と悪魔界の不可侵条約締結後も、その方針に反対する『はぐれ悪魔』と呼ばれる存在がいた。
 最初は愛天使だけで戦っていたのだが――――結局は和也自身もあるきっかけでそれを知り、自らリモーネの封印を解いている。
「デイジーは自らの愛天使としての力を賭して、雨野くんを死の世界から引き上げるつもりだ!!だが、そんな事はできるはずがない!!生と死は、人間の寿命は他ならぬ冥界の王が、アフロディーテ様と同じ力を持つ『神たる存在』が決めたもの!!神の決定に天使は逆らえぬ!!神の逆鱗に触れたなら、みずからも死ぬ……いや、転生もできぬ!!どれだけよくても堕天使に……下手をすれば消滅してしまうぞ、デイジー!!」
「!!!!!!!!!!」
 その言葉を聞き、愛天使たちに衝撃が走る。光の中、和也は大天使リモーネへと変化を遂げる。そして叫ぶ。
「愛天使たちよ、デイジーを止めるのだ!!」
『はいっ!!』
 3人は揃って返事をし、変身の言霊を唱える。
「ウェディング・ビューティフル・フラワー!!」
「ウェディング・グレイシフル・フラワー!!」
「ウェディング・エクセレント・フラワー!!」
 ももこ、ゆり、スカーレットがそれぞれにウェディング・ピーチ、エンジェル・リリィ、エンジェル・サルビアへと変身し、そのまま流れるようにファイターモードへと変化する。はぐれ悪魔襲来の際に、更なるパワーアップによって2段変身のお色直し時における呪文が無くともファイターモードへチェンジできるようになったのだ。
 ピーチはデイジーに叫ぶ。
「デイジー、やめて!!どれだけよくても、堕天使として天使界を追われてしまうのよ!!」
 同じくリリィも後に続く。
「そうですわ!!生と死は神の領域!!天使の力ではどうにもなりませんわ!!」
 そして、サルビアも。
「デイジー!!お前は自分が何をしているか解っているのか!?消滅してしまうのだぞ!!」
 3人の言葉。その言葉に、デイジーは振り向く。その瞳には涙が流れていた。
「みんな、ありがとう……おれ、昨日今日がらにもなくいっぱい泣いちまって……ごめんな……」
「何を、何を言ってるの、デイジー……?」
 デイジーの台詞を聞き、呆然と呟くピーチ。デイジーは流れる涙を拭おうともせずに言う。
「今更ながら、気付いたんだ……おれにとって、たくろうがどれだけ大きいかって……。おれ、おれ……たくろうに生きてて欲しい。たくろうも、おれの元へ帰りたいって思ってくれてる……おれ、拒む事も送り出す事もできなかったよ……おれだって……たくろうが……好きだから……ずっと側にいたいから……いて欲しいから……。おれがワガママ言ってたくろうを引き止めてるんじゃないんだ。だったら、おれはこんな事しない。でも、これはおれだけじゃない。2人の意志なんだ。だから……」
「消滅してしまうんですのよ!!解ってるんですの!?」
「構わない……たくろうがいなくなるのなら、消滅してしまっても……」
「消滅せずに成功しても、天使界を追放されるのだぞ!?」
「追放されても……おれには人間としての自分がある……たくろうもおれを好きでいてくれてる……天使のおれも、人間のおれも……」
 すでに処置無し。愛が深い故に。互いの愛が深い故に――――。それ故に『律』に反する。あまりにも哀しい選択――――。

「くらーすのす・ふぃりあ・ふぉる!そふぃあ・ふぇる・らふぁーす・そる・いりゅーてる!ふぃろ・そふぃあ・ふぃりあ」
 どん!!どん!!凄まじい放電に身を焼かれながら。何度も何度もその呪文を……いや、言霊を唱え続ける。
 唱えながら壁を叩く。
 冥天使は焦燥にかられながら、壁の力を上げようとする。だが。これ以上やるとたくろうの魂が砕けるだろう。
 自分は律に従順たる天使。魂を砕くわけにはいかないのだ。魂を冥界に導く事こそが自分に課せられた役目――――律なのだから。
「くっ!!」
 舌打ちし、冥天使は。再び鎌を振り上げる。それと同時に、たくろうの拳が打つ見えぬ壁からぴしりと言う音が発される。
 その音はたくろうが拳を打つたびに徐々に大きくなり、それと同時に見えぬ壁がひび割れていく。
 呆然と。冥天使はそれを見つめて。呟く。
「バカな……ありえるはずがない……ありえるはずがない!!これは紛れもない愛のウェーブ!!だが、例え愛でも死を覆す事はできるはずがない!!」
 全てを否定するように自らの鎌をたくろうに向かって降り下げる!!
 ぎぃん!!ばしぃっ……!!愛のウェーブが死神の鎌を、冥天使を弾く。
 凄まじい愛のウェーブの輝きの中、彼女は見た。たくろうの姿が変わっていく。
 大いなる愛に包まれ、その姿が変わっていく。胸にひなぎくの花のワンポイントが飾られた、純白のモーニング。たくろうは、そのモーニングにその身を包み、腕を振りかぶる。
「僕は……帰るんだあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 たくろうの拳がひび割れた見えぬ壁を叩く。
 次の瞬間、見えぬはずの壁がきらりとガラスのようなきらめきを見せてひび割れる。
 バァン……!!激しい音がして、純白の壁がばらばらと崩れ落ちる。その向こうに見えるのは現世に続く一本の道。一面のひなぎく畑に伸びる、一本の道。
 河から身を起こして、モーニング姿のたくろうを見つめる冥天使。彼女はたくろうの姿を見てなおも信じられぬ物を見るように呟く。
「そんな……バカな事が……真に天使に愛される人間だなんて……?」
 その言葉に。たくろうは振り返り言う。
「真に天使に愛される?」
「伝説の魂、モーニング・ナイト……愛を知り、愛を守護する愛天使の愛を自らの身に完全な形で受ける事ができる者……」
 たくろうは首を振る。
「僕はそんなのじゃないよ……ただ、僕はひなぎくの所に戻りたくて……ひなぎくを悲しませたくなくて……」
「認められるか……!!」
 鎌を握り、構え直す冥天使。そして叫ぶ。
「認められるか!!律は絶対なんだ!!死者は、河を渡り出した死者は現世には戻れない!!認められるかああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
 だが、振り下ろす鎌はたくろうに届かない。寸前で見えない力で止められる。
「うぐぐぐぐぐぐぐぐ……!!」
 必死の思いで鎌を振り下ろそうとする冥天使。
 たくろうは、それを見ながら呟く。
「僕は……愛する人の元へ帰りたいだけなんだ……邪魔をしないで……お願いだから……でないと……」
 次の瞬間。
 ゴウッと言う凄まじい音とともにブリザードが吹き荒れ、死神の少女を今までにないまでの遠くへと弾き飛ばす!!
「うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
 今までにない水柱を三途の川に上げて落下する冥天使。再び身を起こす。
 そこには、お願いだから解ってくれと言わんばかりの瞳を向けるたくろうの姿。それに、彼に力を貸している愛天使の姿が一瞬だけダブって見えた。自らに似た少女の姿が。
 2人の必死の瞳を見て――――冥天使は首を左右に振り、大きなため息をつく。
「解ったよ……負けだ。ボクの負けだ……。行けよ……」
 冥天使の言葉に、たくろうは頷く。
「ありがとう」
 そして、現世へと続くひなぎく畑の一本道をたくろうは歩き出す。ふと振り返ると、三途の川の対岸でさよならと手を振る祖母の姿が。
 ふと。昔の事を思い出す。一時期、大病を患い、床に伏せった時。見えざる物が見えた事のある、ひなぎくに出会う前の幼い日の過去が。

「おばーちゃん……やだよ……どうしてこんなのが見えるの……??恐いよ……」
「たくろう。こわがらんたってええ。なんでか、いうたらな。それはお前の力じゃからじゃよ。たくろう。おばあちゃんはな。実は未来が見えるんじゃ。じゃから、お前が何故にその力を持っているかもようしっとる」
「未来?」
「そうじゃ。お前のその力は、いずれなりを潜める。じゃが、必要な時に再び目覚めるじゃろう。たくろう。お前はの。天使様に会うために生まれて来たんじゃ」
「天使……様?」
「うむ。お前はの。天使様に出会い、互いに愛し、愛されるために生まれて来た。じゃから脅える事はない。お前は天使様に守られるために生まれて来た。そして、天使様をお守りするために、この世に生を受け、そのための能力を授けられたのじゃから……」

 たくろうは祖母の霊に笑いかけ、そして現世への道を再び戻る。
 そんな彼の後ろから声が飛んだ。
「だが、一つ覚えておくんだ、雨野たくろう!!冥界から律を破って戻ったなら……その対価としてつらい試練が待つ事もありえるんだ!!律を破って戻る、その意味は――――」
 後ろから飛ぶ声は。ひなぎく畑を現世に向かうたびに遠くなり。
 そして――――消えた。

 三途の川に腰を下ろし、冥天使ポピィは鎌を再び構える。
 鎌は激しい光を放ち、凄まじいスピードで崩れ落ちた壁の材を浮かし、修復していく。
 ゆっくりと首を振るポピィ。
 本当の所、死神は。数多き種の天使の中でも誰よりも慈悲深き天使。
 誰よりも純粋で、誰よりも優しい。それ故に、皆が嫌がり最も嫌われる『死神』の役を自ら引き受けた天使。
 魂が迷わぬように、見守り、正しく冥界へと導いて、現世の罪を償わせ、転生させる事を役目とする天使。
 それ故に律を遵守し、どれだけ魂が現世を求めようとも、無用な苦しみを背負わせまいと。守ろうとして憎まれ役を引き受ける天使。
 壁の修復が終った時、天より声が聞こえる。
『ポピィ……ポピィよ』
 その声に、ポピィは表情を硬直させてその場に跪く。
「め、冥界の王……死の神、ハーデス様っ!!」
『ポピィよ、何故にあの魂を現世に返したか。どれだけ愛の力が強かろうと死せる者は死す。それが天地の理ぞ』
「申し訳ございません!!全ては私の力が及ばなかったゆえ。どのようなお叱りも。消滅さえも覚悟しております」
『愚か者め!!』
 天空から稲妻がポピィに降り注ぐ!!
 声にならぬ死神の少女の悲鳴。
 煙を上げて三途の川に浮く、ポピィ。辛うじて意識は残ったが――――。
『ポピィよ。しばらくお前には別の仕事をしてもらうぞ。試練の監査役だ。あの魂についてのな……』
「は……い……」
 そして。愚痴るようにハーデスの苛立ちを示す声が聞こえてくる。それは、彼にとって面白くない相手と、あまりにも楽しくない―――ハーデスの思い通りにならなかった―――やりとりがあった事を示す。
『全く……相変わらず、アフロディーテも甘い事をする!!どんな事情があろうとも律は律であろうに!!』

 デイジーの愛のウェーブが収まり、遺体安置室は再び静けさを取り戻す。
 たくろうの手を握るデイジー。
「……たくろう?」
 デイジーの手に。力がこもる。
「たくろうっ!!」
 叫ぶデイジー。その手を―――ぎゅっと握り返す。たくろうが。
 感じていた。たくろうの体温が。戻っていく。だんだんと戻っていく。顔に朱が戻り、生気が戻っていく!!
 たくろうは、デイジーに顔を向け、優しく微笑む。そして、言った。
「ただいま、ひなぎく」
 デイジーの顔に歓喜の笑みが浮かぶ。何も言わずに、デイジーはたくろうをぎゅっと抱き締めた。
 デイジーの瞳から流れ出て、たくろうの首筋を濡らすもの。それに気付き、たくろうは尋ねる。
「ひなぎく、泣いてるの?」
「バッカ、違うよ……誰が泣くかよ、こんなに嬉しいのに……なんで、誰が、お前が生き返ったからって……!!」
 そんなデイジーを、たくろうは強く優しく抱き締める。たくろうもまた嬉しさに泣いていた。
「ごめん……!!ごめんね、ひなぎく……っ」
「謝ってんじゃねーよ。ホントに、ホントにお前って奴は……!!」
 2人のやり取りに。ピーチとリリィも思わず貰い泣きをする。サルビアもまた、彼らを優しく見つめていた。
 リモーネだけが難しい顔をして2人を見ている。
 そう。これで終ったように見えるがそうではないのだ。
 確かにたくろうは生き返った。だが、それは神の定めし律に逆らい反魂を行ったと言う事。神に逆らいし天使は――――。
 こつん。足音が響く。振り返るリモーネ。
 そこには、ピーチに似た、清楚を醸し出す一人の女性。
 リモーネと同じ大天使の身分にある、ももこ(ピーチ)の母。セレーソである。
「セレーソ……」
 ぽつりと呟くリモーネ。セレーソは解っていると言うように頷く。
 それと同時にピーチたちも振り向く。
「ママ!!」
「セレーソ様!!」
 それぞれ口々に大天使を呼ぶ声。それにデイジーは身を固くする。
 たくろうはデイジーを更にぎゅっと抱き締める。
 セレーソは愛天使たちにも頷くと、ゆっくりとデイジーとたくろうに歩み寄る。
 どうなるのか――――不安そうに成り行きを見守るピーチたち。その解き、ピーチに対し小さく声がかかる。
「ピーチちゃま」
 振り向くピーチ。そこには、1頭身のぬいぐるみのような……何と言うか、な生き物が宙に浮いていた。
 悪魔族の使い魔だったのであるが、ピーチの力により浄化され、彼女の元にいるジャ魔ピーである。
「ジャ魔ピー」
 名を呼ぶピーチ。ジャ魔ピーは不安そうに尋ねる。
「デイジーちゃまたち、どうなっちゃうんでちゅピー?」
 ピーチはジャ魔ピーを抱き締め、不安そうに答える。
「解らない。どうなるのかな……?ママの事だから、まさかとは思うんだけど……」
 全員が見守る中、たくろうとデイジーの前に立つセレーソ。たくろうが尋ねる。
「あなたは……確か、ももこさんのお母さん……ですよね?確か、大天使の……。記憶の封印の時、夢に出てきましたよね、確か」
 その言葉に、セレーソは頷く。
「その通りです。たくろうくん……どうやら、アフロディーテ様があなたに施した記憶の封印、死の壁に打たれたショックで解けてしまったようですね」
 その言葉に、はっとしたような顔でたくろうを見るデイジー。たくろうは肯定するように頷いた。
 たくろうは、真摯な言葉でセレーソに嘆願する。
「お願いです!!ひなぎくを許して下さい!!ひなぎくは僕のために……!!もう一度死ねと言うなら、それでも構いません!!少なくとも、今度は数分でも、別れを惜しむ暇があるはずだから……!!だから、ひなぎくを……!!」
 その言葉を聞き、デイジーは叫ぶ。
「な……バカヤロ!!セレーソ様!!悪いのは全部おれなんです!!たくろうは関係ありません!!おれが勝手にたくろうを生き返らせたんです!!だから、おれは天使界を追放されてもいいんです!!もう一度たくろうを殺すなんて、やめて下さい!!」
「違います!!僕が無理矢理……!!」
「だから、おれが勝手に……!!」
 互いに庇いあう2人。セレーソは手を上下に振り言う。
「とりあえず、落ち着きなさい。2人とも。互いに庇いあうのは結構ですが、私の話を聞いてからでも遅くはないでしょう」
『は、はい……』
 2人揃って返事をするたくろうとデイジー。
 セレーソは咳払いをして、言う。
「まず……デイジー」
 デイジーの体がビクッと震える。だが、次にセレーソが言ったのは、デイジーにとって予想外の言葉。
「よくやりましたね。愛する者を死の世界より救う。よくぞ、やり遂げました」
「……え?」
 セレーソはゆっくりと言う。
「たくろうくんの死は、予定外の『仕組まれたもの』だったのです。神以外の存在が、たくろうくんの運命に介入して勝手に彼の運命を改ざんしてしまったのです。だから、デイジー。あなたがとった行動は正しかったのですよ。もしあそこでたくろうくんを冥界に渡していたなら、二度と現世に戻る事はなかったでしょう。何しろ……ここだけの話ですよ?冥界の王ハーデスはその底意地の悪さで有名なのです。自らの国―――冥界の人口を増やして税を搾取するためなら、多少の運命の狂いや邪なる者による運命の改ざんさえも見過ごしてしまうのですから」
 セレーソの言葉に、2人は背筋を寒くする。まさしく、ギリギリの所を助かったようなもの――――。
「でも……たくろうの運命に介入したのって誰なんですか?セレーソ様!!」
 尋ねるデイジーに、セレーソは頷いて答えようとする。
「それは――――」
 その時、バン!!と派手な音を立てて安置室の扉が開いた。全員が扉の方を向く。
 そこにいたのは、宇野京介であった。
 京介は無言ですたすたと愛天使たちの間を縫い、たくろうたちの前に立つ。
 そしてゆっくりと周囲を見回して。
「……なんだ、こりゃ?アニメのコスパか?たくろう、別にお前個人の趣味に口を出すつもりは無いが友達は選んだ方がいいぞ?」
 そう言ってたくろうの両肩に自らの両手を置く。
「いや、違うんだけどなぁ……。それよりも、迷惑かけたね、京介」
 たくろうがそう返事をした時。京介の口の両端がニヤリと歪む。
「まぁ、そんな事はどうでもいいんだがな……」
「え?」
 肩に置かれていた両手がたくろうの首を絞める!!次の瞬間たくろうの体が宙に浮く。
 京介がたくろうにネック・ハンキング・ツリーをかけたのだ。
 それと同時に、凄まじい衝撃波が京介の体より吹き出す。それにより、デイジーとセレーソがそれぞれの方向に吹き飛ばされる!!
「くっ!!」
「このっ!!」
 多少吹き飛ばされながらも、それぞれの体の重心を変えて体勢を立て直し、地に降り立つ。
「セレーソ様!!」
 慌ててセレーソに駆け寄るデイジー。他の愛天使たちやリモーネも駆け寄ってくる。
『デイジー!!セレーソ様!!』
「大丈夫か!!」
 リモーネの言葉に、セレーソは少しだけ頷く。そして、京介に向かい毅然として言う。
「何者です!!もしや……たくろうくんの命を狙った存在の手の者ですか!!」
 返事は――――無い。たくろうは首を絞められながらも必死に京介の手をつかみ抵抗する。
「う……ぐ……」
 そのたくろうに対し、京介の声が響く。その声には、エコーがかかっていた。
『雨野たくろう……写本はどこにある。オルフェウス・インプリケイションズ・レコードの写本はどこにある』
「……写…本だって……??」
『かつて、最愛の者を亡くし失意のうちに世界の全てを憎み、恨み、そして去った吟遊詩人の残した、伝説の黙示録はどこにある』
「知ら……っないよっ……」
 苦しい――――あとどれくらい、息が続く――――?
『嘘をつくな!!お前が最後の所持者なのだ!!この世界の真の姿を示した世界書はどこにあるのだ!!』
 必死で意識を留めようと京介の腕を解こうとするたくろう。
 慌てて技を繰り出すデイジー。
「このっ!!たくろうから離れろ!デイジー・ブリザード!!」
 激しい嵐が吹き荒れ、京介の体が凍っていく。だが――――。
『フン!!』
 バキィ……ン!!京介の気合と共に、彼に貼りついていた氷が砕け、周囲に飛び散る。
『今、何かしたか?俺は忙しいのだ。あのお方のために「写本」を届けねばならぬのだから』
 それを見て、デイジーは腕をかざし叫ぶ。既にウェディングドレス姿である以上、お色直しをせねばならない。
「エンジェル・クラージュ・デイジー!!」
 ウェディングドレス姿から、ファイターエンジェルの姿へと変わるデイジー。コスチュームの腕のガードブレスレットが光を放ち、あふれ出る稲光がデイジーの手に収束する。次の瞬間、デイジーの両腕にはペアの三日月型のブーメランが!!
「セント・ローリング・ブーメランっ!!」
 2つのブーメランはデイジーの両手を離れ、京介の両腕を打つ。
『うぐぁっ!!』
 思わずたくろうを離す京介。たくろうの体が床に落ちる。その場でうずくまり、息が詰まっている状態から立ち直ろうと大きく息を吸ったせいで、こほこほと咳をするたくろう。
 京介はデイジーを睨む。ちょうどデイジーは自らの放ったブーメランをその手に再び持った所――――。
 どこからかウェディング・チャペルが鳴り響く中、デイジーは両手にブーメランを構え、朗々と叫ぶ。
「この、実りの秋も終わりに近づき、初冬を迎える準備を成す頃。愛しき人の死からの帰還を祝うこのよき日に、友を襲い、ふたたび死の淵に追いやろうなど、許せねぇ!!愛天使エンジェル・デイジーは―――とってもご機嫌斜めだぞっ!!」
「あー、デイジー!!それあたしのセリフぅっ!!」
 ピーチが突っ込む。デイジーは苦笑して少し拗ねたような顔をするピーチに言う。
「悪い!!今度聖華堂のあんみつをおごるから……!!」
 その言葉を聞いて、ピーチの表情がぴくりと動く。ちら、とデイジーを見て言う。
「スペシャル?」
「特盛りもつける!!」
 その言葉に、ピーチ。少しだけ、にへら〜と締まりの無い笑みを浮かべる。そんなピーチの肩にリリィが手を置いて言う。
「仕方ありませんわ。今回の主役はデイジーに花を持たせて差し上げましょう?」
 ピーチは表情を引き締めて言う。
「そうね!!狙われたの、たくろうくんだもんね!!行くわよ、みんな!!」
『おうっ!!』
 ピーチの言葉で全員が言葉と呼吸を揃え、飛び出す。それを見て京介は舌打ちをし、再びたくろうに襲いかかろうとする。
 それを認めたリリィ。太股のリングにある宝玉に手をかざし、その光より武器を取り出す。
「清純と、いわれしリリィの花言葉。咲かせて愛を、授けます!!セント・スパイラル・ウィップ!!」
 リリィが取り出したのは、長い鞭。それを振るい、たくろうと京介の間を威嚇して距離を稼ぐ。
 またもや舌打ちする京介。その後ろから声が響く。
「闇に埋もれし邪悪なる者よ!!汚れた魂を消し去ってくれる!!セント・ツイン・ソード!!」
 だが、サルビアのソードは空を斬るのみ。
「何っ!?」
「サルビアっ!!上!!」
 ピーチが叫ぶ。慌てて前へと躱すサルビア。ドゴッ!!上からの京介の膝蹴りが、病院の床を壊す。
「なっ……!!」
 京介の膝から吹き出る血。だが、京介の笑みは更に強くなる。
「い、痛みを感じませんの??」
 リリィの疑問の声に、京介。その強き歪んだ笑みのまま答える。
『別にかまわんさ……所詮、借り物の体なればなぁっ!!』
 その叫びと共に、京介の腕から見えぬ力場が放たれ、自らに迫る愛天使たちを捕らえる。
「な、何?なんなの、これっ!!」
 慌てるピーチ。身動きが取れずに戸惑うのは他の愛天使も同じであった。なぜならそれは――――。
「に……憎しみの……悪魔族のウェーブじゃない!!」
「バカな!!愛のウェーブでも、憎しみのウェーブでもないウェーブで、私たちを捕らえる事ができるものだと!?」
「き、聞いた事ありませんわ!!そんなウェーブの力場なんて!!」
 デイジー・サルビア・リリィ。共に疑問の叫びを上げる。
「いかん!!」
 慌てて踏み出すセレーソとリモーネ。だが、見えぬ壁に阻まれる。
「こ、これは一体……!!」
「何が起こっているの!?」
 疑問の声を上げる2人の大天使。2人は力を溜めて壁を打ち割ろうとするが、しれにはしばし時間がかかる。だが、やるしかない。
 それを横目で見ながら、京介がピーチたちにゆっくりと呟いた。
『愛天使たちよ……これは本来、貴様らには関係の無い事だ。ここで退けば、見逃してやらぬでもないぞ……』
「だっ……!!誰が……!!」
 反発するデイジー。すると――――謎のウェーブによる電流が愛天使たちを打つ!!
 声にならぬ悲鳴が周囲に響き渡る。
 そんな中。たくろうは朦朧とした意識を回復させる。
「う……」
 うめくたくろう。顔を上げた彼の視界には、愛天使たちに見えぬものが見えていた。
 京介の体から伸びる、何本もの腕。それが、愛天使たちに雷撃を与えている!!
 たくろうの瞳に、苦しむデイジーの顔が映る。その表情に。たくろうは地に付いていた両の手をぎゅっと握り締めて拳を作る。
 ぎっと前を見据え、京介を見る。京介の体にだぶり、たくろうにだけ見えている存在を。
 それに向かって、思いっきり叫んだ。
「やめろおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 たくろうの想いを乗せた叫びは、京介を。いや、京介に取り付いていた存在をその場から弾き飛ばす。
 それは、黒い塊となって宙に浮く。
 京介の顔から凶悪な表情が消え、体がその場に倒れる。
 不意に、愛天使たちを戒めていた力場がふっと消えた。
『バ、バカな……!!愛天使たちならともかく、普通の人間が私を……この私を吹き飛ばすだと!?』
 そんな黒き思念の塊に。たくろうはゆっくりと立ち上がり呟く。有無を言わせぬ迫力で。
「人間の底力――――それを最も引き出す感情は何か知ってるかい?」
 バァン……!!それと同時にセレーソとリモーネが見えぬ壁を打ち破り、愛天使たちの元へ駆けつける。
「なんとか間に合ったようですね。ピーチ、今です!!」
 セレーソの言葉に、ピーチは頷き、他の愛天使に呼びかける。
「みんな!!」
 リリィ・デイジー・サルビアは頷き、自らのチョーカーにある宝玉に手を翳す。
 それぞれの愛天使から力が分離し、ピーチの元へと飛ぶ。
 ピーチもまた、自らのチョーカーより取り出した力を頭上にかざした。愛天使たち全ての力が、ピーチの腕の中に托される。
「セント・グレネード・クリスタル!!」
 掛け声と共に、手の中に現れる手銃砲のようなフォルムを持つ武器。これこそピーチのセント・グレネード。その照準が、京介の頭上に浮かぶ黒き玉に合わさる。
「ハート・インパクト!!」
 グレネードの引き金が引かれ、愛のウェーブのエネルギー波が黒き玉へとぶつかる。
『がああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!この程度の愛のウェーブで……この程度の愛のウェーブでええええぇぇぇぇぇ!!!!!』
 黒き玉はハート・インパクトの球を受け止めながら、本来の姿を取り戻していく。
 それは――――人間の形。紛れも無い、人間の魂。
『私は……私は……!!我が乾いた魂に愛のウェーブは……!!おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
 邪悪なる魂はハート・インパクトの力を受けて、浄化され、煌きながら消滅していった――――。

「残念ながら、たくろうくんの運命に介入した者の正体はまだ解っていないのです」
 セレーソの言葉に、がっくりとくるひなぎく。
 今は全員、愛天使から人間へと戻っている。
「でも、いつか解るはずです。ただ、この状態ではたくろうくんの記憶と能力は封印する事はできません。これから何があるか解りませんからね。だからこそ、たくろうくんの魂を狙う者が解るその時まで、誰かがたくろうくんを見守る必要があるのですが――――」
 セレーソは、ちら、と皆を見回す。とっさに、ひなぎくが手を上げてきっぱりと言う。
「オレ!!オレやるよ!!」
 セレーソは頷くと。
「では、頼みましたよ。デイジー。ピーチのセント・グレネードには、取り出そうとした瞬間、あなたの状態に関わらず、常にあなたの力が宿るように設定しておきます。あなたがその場にいなくても、グレネードが使用できるように。ですから、あなたはたくろうくんについててあげて下さいね」
「解ったよ!!ももこたちにあえねーのはちょっと寂しいかなとも思うけど……安心して任せてくれ!!」
 どんと胸を叩くひなぎく。
「では……」
 ひなぎくに手を翳すセレーソ。ひなぎくは一瞬ファイター・デイジーに変わる。デイジーのチョーカーから宝玉が消えた所で再びひなぎくに戻る。
 セレーソの手には、デイジーのチョーカーにあった宝玉が浮かんでいる。それはセレーソの手の上で更に小さな結晶に縮小される。
「ももこ」
「解ったわ、ママ」
 すっと前に出るももこ。セレーソは次にももこに自らの手を翳す。
 ファイター・ピーチに変化するももこ。デイジーから取り出した結晶がピーチのチョーカーの中へと入る。
 ぱぁ……とピーチのチョーカーが光を放ち、丸い宝玉の両方に包み込むような天使の羽根のオブジェが。
 そして、ピーチはももこに戻る。
「では、後は頼みますよ、みんな……」
 光と共に消えるセレーソ。リモーネもまた、柳葉和也へと戻る。
 和也はゆっくりとため息をつき、言う。
「全く……結局、ほとんどが謎のまま、か。どうやらまだまだ問題は山積みのようだな」

「えっぐち!!」
 自分のくしゃみで、ようすけは目を覚ました。
 身を起こす。どうやら、病院廊下のソファで眠っていたらしい。横にある別のソファには、ディーンが眠っていた。
「な〜んか、とんでもないものを見たような……?」
 首を傾げるようすけ。だが、結局思い出せない。
 結局の所、なんだかよく解らんが、たくろうの遺体に面会に行った際に転んで気絶していたらしい、と言う所で記憶が落ち着いていた。
 ――――皆様お察しだろうが、例によって例の如く。セレーソがようすけとディーンの記憶を少しだけ改ざんしていったのである。

 翌日の病院。
 あれから凄まじい騒ぎであった事は言うまでもないであろう。
 死人が蘇ったと大騒ぎ。ようすけは再び気絶し、ディーンは十字架を持ってエクソシストしてしまう始末。
 医師側からは「そんな事はあるはずが無い」と半月の精密検査を言い渡された。京介は衰弱と骨折で入院中。
 そして――――。

 しゃりしゃりしゃり……。林檎の皮をむく音が病室に響く。
 ベッドの上でそれをやっているのは、他ならぬたくろうだ。
 林檎を全てむき終わり、器に切り分けた所でドアがノックされる。
「どうぞ」
 返事をするたくろう。ドアが開く。
「よう」
 入って来たのはひなぎくだった。その手には封筒が握られている。
「ウチの短大と聖オルフェウスの科目等履修・単位互換の手続きとってきた。これで、こっちで講義受けても大丈夫だぜ」
「……よくおじさんたちが許したね?」
 尋ねるたくろうに、ひなぎく。
「あぁ、なんかうるせー事言ってたけどよ。ちょっと一本背負いかまして気絶させたら『二度と戻ってくるな』ってよ」
「それは何かが違うんじゃないか!?」
 絶叫するたくろうだが、ひなぎくはあっけらかんとして言った。
「なーに、気にするなよ!!あははははは……」
 無邪気な笑いがしばしの間、病室から抜けて秋空に響く。
 そして、笑いが収まった後。ひなぎくがたくろうに向かって尋ねる。
「そう言えば、たくろう。お前あの時―――おれたちがよく解らないウェーブに打たれてた時、何したんだ?人間の底力を引き出す感情って言ってたみたいだったけど―――」
 その言葉に、たくろう。どきりとする。
 言えない。言えるはずが無い。その感情は、愛天使たちにとってはある意味で忌むべきもの。結局たくろうの答えは1つしかない。
「ごめん、ひなぎく……僕、あの時何やったか覚えてないし、自分でも理解できないんだよ。ただ、夢中だったから――――」
 沈んだ顔をするたくろうに、ひなぎくは慌てて言う。
「あ、悪い悪い。すまねぇ。無理しなくていいぜ」
 その言葉に、たくろうはそっと微笑む。ただ、心の中で呟いた。
(ごめん、ひなぎく。でも、あの時僕を突き動かした感情。それは、愛する者を傷付けられた―――大切な存在を傷付けられた事に対する怒りだったんだよ。人間の底力を最も引き出す感情。それは、大切な愛する者を傷付けられた事に対する怒りなんだ……)
 人間(ひと)は、数多くの相反する感情を持つ。愛と憎しみ。怒りと優しさ。悲しみと喜び。それらの感情が、相反するはずのものが手を取り、ある一つの目的に向かう時。人間は、最大の力を振るう事ができる。
 あの時のたくろうは――――まさにその状態だったのだ。

 そして―――世は全て平穏にてことも無し――――。                      

 <お・わ・り>

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 Syuuhei Kiyama /Dec.14. 2000

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